2014年
2月
25日
火
今日は、最近お世話になっている喫茶店へ行ってきました。
目当ては、画塾をされている先生との会話です。
この先生は坂本繁二郎のお弟子さん(厳密には坂本繁二郎は弟子をとってはいないのでこの言い方は適切ではありませんが、他の言い方が見つからないので「弟子」と表記しました)だったそうで、御年89歳とは思えぬ明朗快活さ、誠実勤勉な姿勢をみていると、まるで私の方が老いているようです。
私は話についていくのに必死ですが、とても楽しい時間でした。
その先生に私の絵を見せたところ、褒めてくれたのはとても有難いものでした。
私なんか誰も知らないようなマイナーのマンガ・イラスト描きの絵を、絵画を追求してきた先生から評価してもらえたことはとても励まされました。
私は独学でマンガ絵やイラストを描いてきました。
描いて、真似して、考えて、自分なりの美学を磨いてきました。
自分なりに理屈ではないところを鍛えてきました。
私の絵についての会話のやりとりは、二言三言でしたが、私にしか分からないと思っていた領域を先生は理解してくれていたように感じ、それが本当に有難かったのです。
暗闇の中を進む活力をもらえたような気がしました。
先生、どうもありがとうございました。
2014年
2月
17日
月
(絵は、以下本文と関係ありません笑)
実を言いますと、大分前に観てはいたのですが、レビューするには何とも難しく躊躇していました。
主な要因としては、絵とストーリーについてです。
まず絵についてですが、この映画の予告編を見た時、個人的な絵の好みとして「古い感じ」がして、どうにも気が進みませんでした。
この辺は、言葉で表現するのが難しいのですが、登場人物の顔の描き方が昔の劇画マンガのように感じるのです。
私のようなゆとり世代の人間は、劇画マンガにはほとんど馴染みがなく、私はどうしても古くささがあって少し抵抗があったのです。
「作品が平安時代のものだから、古い表現でいいんじゃないの?」という意見もあるかもしれませんが、それにしても、マンガの記号(目など)が見られる時点でどうしてもある種の違和感が生じてしまいます。
もう少し記号から離れた絵にするとか、あるいは水墨画や日本画よりの絵にしていれば、そういった違和感はなかったのではないかと思いますがどうでしょうか・・・。
とは言え、あの絵が動くのですから相当の労力が要ったに違いありません。
規律正しくスムーズに動くのではなく、どことなくスローテンポであったり、早く見せるところでは荒々しく動いたりと、物語・絵柄に合った素晴らしいアニメーションだと感じました。
私は特に子供の重心が見えるような描写に感動しました。
さてさて、絵に関してはこのくらいにして、ストーリーの話をしましょう。
これを語るのを難しくしているのは「姫の犯した罪と罰」でしょう。
「姫の犯した罪って何?」という話ですが、これは諸説あるようでして、結局のところ何か分からないようです。
あと終盤、捨丸は妻子がいるにもかかわらず、かぐや姫と再会して、うんぬんのシーンは正直言って不快です。
以上のことがあってか、なんともレビューに困る作品だったのですが、面白い視点でこの作品が観れることが分かりましたので「これは是非とも書いておこう!」と思ったわけでございます。
それは何かと言うと、この話はつまり、秦氏と藤原氏の対立のお話だという視点です。
竹取物語は成立年は不明ですが、10世紀半ばまでには成立したとされています。
(以後はあくまで一つの見方です。また、話を分かりやすくするために簡略しています。間違っていれば教えて頂ければと思います)
大化の改新以後、秦氏は藤原氏に敗れ、地方へ追いやられました。
追いやられた秦氏は、賤民のような扱いを受けたかも知れません。百姓としての生活が出来なかった彼らは、山手などへ移り、竹細工などをして生計を立てた。
そんなところで生まれた「かぐや姫」を秦氏と考えた場合、自分たちを追いやった、いわば敵対関係にある藤原氏連中を許すはずはないでしょう。
物語では、5人の貴公子が求婚してきますが、姫がすべて断るのもこのためだと考えることもできます。
また、かぐや姫は月からやってきて、月へ帰るわけですが、これは秦氏は弓"月"君(ゆづきのきみ)を祖としていることから月がメタファーとして用いられているのかもしれません。
以上の見方は、にわか程度の知識で書いているので、間違っている可能性があります、、、汗
もし気になった方は、各々調べて頂いて、間違っていれば私の方にもご一報いただければと思います。
それでは今日はこのへんで!