キャラクターへの異常依存創作物に物申す(詳しくは「続きを読む」をクリック)

 

無名の分際で、こういう類の記事を書くのもどうかとは思うのですが、構わず書きます笑

 

 

タイトルに「キャラクターへの依存創作物」と書きましたが、主に漫画の話です。

 

(以後、キャラクター=キャラ)

 

 

 

漫画界ではよく「漫画はキャラだ!」と言われます。

 

それはごもっともなのですが「ストーリーに沿ってキャラが動く」のではなく「キャラが物語をつくっていくのだ!」という意見や、それほどまでのキャラ依存に私は賛成しません。

 

 

創作物というのは、フィクションでありウソなのです。

 

笑える要素や泣ける要素、様々な要素を加えて、観賞に耐えるウソを創るのです。

 

 

「キャラが物語をつくる」というのは、いわば(事実の記録という意味での)ドキュメンタリーのようなものだと言い換えられるでしょう。

 

主人公などのキャラは創作ではありますが、彼らを追う形で「繰り広げられる物語を記録する」というのは、ドキュメンタリー形式の漫画と言っても差し支えはないかと思います。

 

 

私は、お客様を相手にするなら、やはりウソに徹するのが創作者として当たり前だろうと思うのです。

 

 

 

 

これをケーキに例えてみます。

 

自分がパティシエだとして、お客様にケーキを出す場合、美味しくて見た目も美しいものを提供するのが当たり前だと私は思うのです。

 

しかし、これがドキュメンタリーならどうでしょうか?

 

何らかの原因で、失敗したケーキをお客に出す可能性もあるかもしれない、というのがドキュメンタリー、すなわちキャラが物語をつくるということです。

 

 

 


私はハプニングがあってはならないと言っているわけではなく、それすらも計算の範囲に入れてこそ創作者であろうと思うのです。


創作者のドキュメンタリー番組などで、ストーリーの今後の展開について、自身の生み出したキャラにお伺いを立てるほど、キャラに迫ろうとする人がいますが、私はあまりその姿に感心できません。

 


キャラに迫るのはもちろん必要ですが、それもやはり計算のうちに入れておくべきだと思うのです。

 

 

 

お客様を相手にするのなら、創作者は常にお客様、また自分という客を意識するべきであり、キャラに引っ張られすぎては、お客様(エンターテイメント性)を見失います。

 

キャラに頼るのは、自分の創作物への自信の無さの現れだと私は思います。

 

 

また、キャラに異常依存した作者の多くが、自分の作品について、恰好のいいことを語っていますが、私には後付けにしか聞こえません。

 

 

 


私がおはなしとして、漫画よりも映画が好きなのは、(例外もあれど)割合、映画はキャラが計算の内に入っているからなのです。

 

私は、もう少しキャラクターから離れた漫画があってもいいように思いますが、皆さんはいかが思いますでしょうか。

 

 

 

※以上はあくまで、無名の創作者が、ちょっと気がかりになっていたことを短時間でまとめたものなので、話半分に聞いていただければと思います。

 

 

 

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